2000年6月

年月日/件名 更新最新日
2000.6.30/午前中の出来事(第13回) 2000.6.30
2000.6.25/サロマ湖マラソンでのいい話(第11回) 2000.6.30
2000.6.25/サロマ湖100kmマラソン、なんとか完走(第10回) 2000.6.26
2000.6.24/サロマ湖100kmウルトラマラソンに挑戦(第9回) 2000.6.24
2000.6.18/部屋の整理、いつ終わる?(第8回) 2000.6.19
2000.6.11/美瑛ヘルシーマラソン、ハーフで自己新(第7回) 2000.6.12
2000.6.10/コンサドーレ、かろうじて9連勝(第6回) 2000.6.12
2000.6.3/坂本九思い出記念館来館(第5回) 2000.6.4
2000.6.1/コンサドーレ7連勝!(第4回) 2000.6.2

午前中の出来事(第13回・2000年6月30日(金))

今日の朝、1か月後に行う「北海道趣友のつどい」の場所取りのため、札幌市中央区民センターに行きました。会場申し込みは使用日の1か月前からのため、7月30日の分の申し込み開始は6月30日なので、朝一番に行きました。私が希望の会議室B(唯一、一番安い料金の部屋(午後1〜5時の4時間で1,200円)が既に公用で抑えられており、全部で公用として4部屋とられていました。私の希望は会議室C(2,000円)でした。ところが、ほかに希望した方がいたのですが、別の部屋に変更してくれたため、希望どおりとなりました。変更してくれた方いわく、「変更した部屋も以前、使ったことがあるし、その日に借りることができればどこでもいいから」。こういうように譲ってくれることって、ほんと気持ちいいですよね。私もそういう広い心を持てるようになりたいです。
そのあと、手稲駅に行き、ミスタードーナツ手稲駅前ショップに行って来ました(詳細はミスド日記)。
札幌駅に戻り、今日からオープンのヨドバシカメラ・マルチメディア札幌に行ってきました。今までのJR札幌駅西側高架下の北側に7階建て(4〜7階は駐車場)の大きな建物に移ってのオープンです。今までより敷地面積がかなり大きくなり、短時間では回ることができません。2階のパソコン関係のフロアもほんとにでかい。その奥には文具コーナーがあり、2〜3割引で売られていました(これにもポイントがつくので、実質的にはそれ以上の割引になりますね)。すごいです。文具もヨドバシを利用することが多くなりそうです。
ヨドバシカメラには10分だけ見て、札幌駅南口にあるアスティ45ビルの7階にある献血センターで成分献血をしました。10時半過ぎに行ったのですが、12時くらいまでになるべく終わるように、とお願いしたら、快くOKしてくれました。血小板献血で、献血終了時には採血された血小板を見せてくれました。本当に職員の方も親切でよかったです。献血ルームでは好きなソフトドリンクを無料で飲むことができるのは知っていたけど、ヴィ・ド・フランスのパンがいくつか置いてあって、1人1〜2個OKというのにはビックリしました。手拭きやナプキンもありました。私は豆パンを食べました。これが私の昼食(^^;。
このあと、札幌中央局へ。その内容は後日、郵趣日記にて。
(2000.6.30提供)


サロマ湖マラソンでのいい話(第11回・2000年6月25日(日))

サロマ湖100kmウルトラマラソン挑戦したときに泊まった民宿についてのお話です。。その報告をします。

今回、泊まった民宿「むらおか」(常呂町)は、毎年マラソン同好会がサロマ湖100kmマラソンのときに泊まるところです。今回は15人と過去最高人数が泊まりました。非常に楽しい雰囲気でマラソン前日だというのに、ビールなどお酒もどんどん飲んで賑やかでした。

同じ日に泊まっていたのが、NHKラジオ第一の「ラジオ深夜便」のアンカーを担当されている方(とその方の奥様)です。民宿をされている村岡さんのご主人さんを2日間にわたって紹介するための取材に訪れたそうです(午前4時台「こころの時代」で紹介予定)。本来は5月に行く予定が、たまたまサロマ湖マラソンと同じ日になったそうです。ご主人が民宿に顔を見せるのはこれが初めてだそうで、夕食時にはあいさつもしてくれました。おかみさんは「民宿をやっていて楽しいと思ったことは今までなかったけれど、今日本当に民宿をやってよかったです。」とおっしゃっていました。その話にすごく感動しました。本当はもっと感動的な話をたくさん聴いたのですが、細かい話はしっかりと覚えることができませんでした。でも、そういうところにいる私はほんとに幸せですね。

NHK・ラジオ深夜便
http://www.nhk.or.jp/radiodir/timetable/midnight.html

あと、昨年、1999年夏に難病対策推進のため、47都道府県すべてをマラソンで128日間、6,200kmまわり、知事に対して要望書を渡し、寄せ書きを依頼するという患者運動を行った札幌市在住のグラフィックデザイナー・沢本和雄さんと、その様子を写真を撮ったカメラマン、阿部重宣さんの2人も同じ民宿に泊まっていました。恥ずかしながら、沢本さんのことは全く知りませんでした。
湧別町のサロマ湖マラソンの受付で、7/17〜23にサッポロファクトリーの札幌市写真ライブラリー(レンガ館3F)で写真展を行う宣伝と、その方及びボランティアとしていっしょに走った方が写っている写真のポストカード、2001年のカレンダーがともに500円で販売されていて、その方が現地にいたのですけど、いっしょの民宿に泊まることは知らなかった(知らされていなかった)ので、驚きです。ほんとに、そういう方といっしょのところにいる自体がほんとに奇跡的ですね。

(財)北海道難病連/「激励マラソン」メモリアルサイト
http://www.tokeidai.co.jp/h-nanren/marason2.htm

マラソン当日、民宿の村岡さんが本家前の67km地点で、我々だけではなく、マラソン参加者全員に対して水やお菓子などの差し入れサービスを行い、応援していました。私は12時40分(スタートから7時間40分後)くらいにやっとたどり着きました。村本さんご夫妻、そしてNHKラジオ「ラジオ深夜便」アンカーの方がいて、激励を受けました。元気がさらに出ました(ただし、足が痛くて、足取りはそれからもさっぱりでしたが)。

ほんとに、今年、初めてサロマ湖100kmマラソンを走ったのですが、こんな感動的なことを味わうことができて、幸せです。私も走ることで何かできると最高ですね。来年もぜひ民宿むらもとに泊まって、参加したいですね。
(2000.6.30提供)


サロマ湖100kmマラソン、なんとか完走(第10回・2000年6月25日(日))

6/25(日)、サロマ湖100kmウルトラマラソンに挑戦しました。その報告をします。

深夜の2時過ぎに起床。マラソン同好会のメンバーが泊まった常呂の民宿から、スタート地点の湧別町に向かい、4時過ぎに到着。
参加者は男女会わせて2000人弱と過去最高。今回は世界選手権の女子マラソン3位の実績を持つ、安部友恵選手(旭化成)が出場。これはビックリです。どんな記録で走るのか、楽しみでした。ちなみに、安部選手は昨年の北海道マラソンに出場(女子2位)ですので、安部選手と一緒のレース出場はこれで2度目です。(今年の北海道マラソンにも出場予定ですので、順調にいけば3度目もあります)

5時ジャストにスタート。スタート地点ではライラックが満開でした。札幌の満開は3週間前ですから、ここでも札幌からの距離を感じてしまいます。スタート時点の天気は一面曇り空。ランニングに短パンではちょっと肌寒い気温でした。
最初は力をセーブして、7割程度の早さで走っていました。7〜23kmは折り返しコースで、先頭の方も確認することができましたが、男性4人のトップ集団の100mくらい後ろに安部友恵選手がいました。さすがです。
8時頃からはすっかりいい天気となり、グングン気温も上昇してきました。35km過ぎあたりからひざや太股に痛みが出てきて、40km地点で、目標をゴール制限時間である13時間に切り替える。
ほぼ2.5kmおきにある給水所にて必ず給水をとったり、バナナを食べたりしていましたが。途中、55kmのサロマ湖ホテルでおにぎり(小さい俵形)があったので、5つくらい食べました。
足の太股やひざ、そして左足の甲に「バンテリン」を塗ったところ、左足の甲は逆に激痛が走ってしまいました。ほかに塗ったところも、痛みがおさまることはなく、ひょっとしたら塗ってなければもっと痛くなっているのかもしれない、と思うようにして、引き続き走り始める。
制限時間が42.195km地点、そして50kmから10kmごとの地点に設けられていて、その時間を過ぎると、次の区間を走ることができなくなってしまいます。最初の42.195km地点は10時半、私が通過したのは9時前と1時間半も余裕があったのに、60km地点では途中だいぶ歩いたので、一気に通過した時刻は制限時間の50分前、70km地点ではついに30分を切ってしまいました。
70kmからの10kmを1km約8分ペースで行けば、残り3時間20分で、1km10分ペース(時速6km)とだいぶ楽ができる、と思って頑張って自分なりの精一杯の力で走り、制限時間の19分前に到着。途中の75km地点にあるサロマ湖東急リゾートではおしるこが出てきたので、小さなカップ2つ分を食べる。
80kmの手前からは車の通行が規制されている、ワッカ原生花園約9Kmを往復。思った以上に細かいアップダウンがあり、足が痛い私にとってはすごくキツイ道のりでした。ワッカ原生花園にはハマナスと黄色いエゾスカシユリの花がいたるところに咲いていました。折り返し地点(約89.5km地点)までの距離がすごく遠く感じました。
やっとワッカ原生花園の折り返し地点に行き、90km地点に着いたら、制限時間の10分前。ここまで来たら、完走は約束されたようなものですけど、やはり完走するなら、13時間(18時00分)を切って入りたい、ということで、5分歩いたら、5分走る、というペースで残り10kmを走りました。最後はもうちょっと走る時間を増やしてゴールに向かい、12時間56分00秒(時刻は17時56分)でゴールしました。さすがにゴールしてからは、歩くこと、階段の上り下り、立ったり座ったりすることは非常にツラかったです。そして、10時間くらい雲ひとつない天気の状態で走っていたため、皮膚は日焼けで赤くなっています。もうヒリヒリ状態です。
今回のレースはほとんど「玉砕」状態でしたが、かろうじて完走はすることができました。後半はだいぶ歩きましたが、走りたくない、とは思いませんでした。でも、普段から長距離を走る練習をしないとダメだな、と痛感しました。
なお、安部選手は100kmの女子世界最高を更新する、6時間33分11秒を記録(男子1位は6時間27分13秒)。私のほぼ半分の時間…。ただただ驚きです。すごいです。小さな体でこんなパワー…これからもぜひ頑張ってほしいですね。応援しています。

私の10kmごとのタイムなどは以下のとおりです。

地点 タイム 10kmあたり 1kmあたり
スタート 55分10秒 5分31秒
10km地点 55分10秒
53分00秒 5分18秒
20km地点 1時間48分10秒
54分53秒 5分30秒
30km地点 2時間43分03秒
57分47秒 5分47秒
40km地点 3時間40分50秒
1時間18分08秒 7分48秒
50km地点 4時間58分58秒
1時間42分45秒 10分17秒
60km地点 6時間41分43秒
1時間36分28秒 9分39秒
70km地点 8時間18分11秒
1時間22分38秒 8分16秒
80km地点 9時間40分49秒
1時間38分34秒 9分52秒
90km地点 11時間19分23秒
1時間36分37秒 9分40秒
ゴール(100km) 12時間56分00秒

今回は完走が目標なので、ほんとに完走できてよかったです。でも、記録はもちろん満足していないので、来年は少しでも歩く時間を短くして、12時間は切りたいですね。

ゴール時の写真(1000円)も買ったのですが、下を向いていて、帽子のひさしで顔がすっかりかくれてしまってました。来年はぜひカメラ目線でゴールしたいですね。ゴールテープを切る練習をしなきゃ(なんてね)。

(2000.6.26提供)


6/25、サロマ湖100kmウルトラマラソンに挑戦(第9回・2000年6月24日(土))

6/25(日)、サロマ湖100kmウルトラマラソンに挑戦します。今日の9時半、札幌を発ちまして、夜の8時頃にはもう就寝。夜中の2時に起き、早朝5時スタートです。なお、紋別の日の出は3時43分ですから、朝5時と言っても、もう明るいですよね。天気も曇りのち晴れといい天気(いい天気過ぎるとかえってバテるのですけどね(^^;)です。
サロマ湖100kmウルトラマラソンは初挑戦です。制限時間は13時間。つまり、午後6時までにゴールできるかどうかです。体力には局廻りのおかげで自信はありますが、足、特にひざが100km持つかどうかですね。やってみなければわかりません。でも、ゴールしたときの感動を夢見て、明日スタートラインに立ちたいです。目標はとにかく完走することです。
なお、衆議院議員選挙の不在者投票はもう済ませました。
と、いうことで、ホームページ更新は6/26夜までできませんので、ご了承願います。
(2000.6.24提供)


部屋の整理、いつ終わる?(第8回・2000年6月18日(日))

この週末、札幌は2日連続で夏日と暑かったですが、日曜の昼にJPS札幌中央支部の例会がある以外は特に予定がなかったので、部屋の整理をしていました。
あまりにも物が多すぎるので、収納の箱などを金曜日から日曜日までの3日間で10箱以上買っては、大まかな分類をして箱に入れていく作業をしていました。
2部屋で4つある本棚はファイルや本でもう満杯。本棚を置くスペースもないので、1部屋はほとんど箱置き場と化してしまってます。
それでも、未整理品の箱がいくつもあったりと、週末の2日ではいかんせん、どうにもならない部屋ですね。
ま、気合いを入れてガンバルしかないですね(^^;。いつになったら、皆さんを招くことができる部屋になるんだろうか(^^;;;。
(2000.6.19提供)


美瑛ヘルシーマラソン、ハーフで自己新(第7回・2000年6月11日(日))

この日は美瑛にてヘルシーマラソンが行われました。私はハーフ(21.0975km)に出場しました。
朝は5時起き。そして、札幌駅6:56発の臨時特急「ヘルシーマラソン号」に乗って、美瑛まで行きました。
9時過ぎに美瑛駅到着。本当なら駅前からそのままスタート地点の白金温泉行きのバスに乗り込むのですが、いろいろな理由があり、ひとまずゴール地点(開閉会式会場)に行くバスに乗り込む。
そして、9:50頃、やっとスタート地点行きのバス(それも、最終のバス(^^;)に乗る。スタート地点に着いたのが10:07。スタート(10:30)の23分前。
それから準備運動や軽い走り込みを10分程度して、10:20頃、スタート地点で待機。
10:30にスタート。標高約600m地点から前半の約10kmで一気に400m下るコース。最初の3kmはやや飛ばし気味。そのあとはやや自重しての走り。中間地点で40分11秒。うまくいけば1時間21分を切るかもしれない、と思っていたけど、私の回りにいた集団の走りが遅く感じたので、12kmあたりで、ペースを上げる。
15km地点を過ぎると、美瑛名物「心臓破りの丘」(と、私が勝手に銘々)。約1kmで約50mの標高を上がる一番ツライ区間。でも、その区間には地元の小学生やJR関係者、JRのツインクルレディなどの暖かい応援が
あり、子供たちと手のタッチ(野球でホームランを打ったときに、ベンチで出迎えするときにするような感じ)をすると、疲れていてもすごく元気が出ます。坂を駆け上がると、あとは下りのみ。
ほかの選手も最後の力を出して、抜きつ抜かれつ状態。それでも、最終的に抜かれることはなく、最後の1kmでラストスパート。ゴール直前で足がつる寸前でしたけど、なんとかゴール。記録は1時間21分10秒と、ハーフの自己記録を更新しました。自分の目標は1時間22分を切ることだったので、目標達成できてよかったです。

美瑛ヘルシーマラソン・ラップタイム(2000.6.11)

地点 タイム 1kmあたり
スタート 3分36秒
3km地点 10分48秒
3分49秒
5km地点 18分25秒
3分56秒
中間地点(10.55km地点) 40分11秒
3分53秒
15km地点 57分27秒
4分08秒
17km地点 1時間05分43秒
3分45秒
18km地点 1時間09分28秒
3分51秒
19km地点 1時間13分19秒
3分57秒
20km地点 1時間17分16秒
3分34秒
ゴール(21.0975km) 1時間21分10秒

こういう記録が出ると、来年はぜひ1時間20分台を切って、1時間10分台で走りたいですよね。1時間10分台は手が届かない記録と思っていただけに、頑張ればなんとかなるものですね。
順位は39歳以下の部で35位でした。6月17日(土)の読売新聞朝刊(北海道版)に、美瑛ヘルシーマラソンの上位50位までの記録が載ります。土曜日が楽しみですね。なお、3年前に出たときは1時間24分42秒で48位でした。記録的には3分半以上縮めたことになります。
ゴールしたあと、出店の豚汁、おでん、やきとりなど食べ、そして生ビールを飲んで最高の気分でした。
会場には美瑛郵便局の臨時郵便局がありました。洋7封筒に貼った「北の大地」80円切手に風景印を押してもらおうとしたら、風景印を持ってきていない、とのこと。返信用封筒も持ってきてませんでしたが、ふといいアイディアを思いつきました。絵入り葉書のたとうを裏返すと封筒状態になるので、絵入り葉書を買って、たとうを裏返して、返信用封筒の状態にして、あとで局に戻ってから風景印を押して返送してください、とお願いしました。なお、絵入り葉書のたとうの長辺は、洋7封筒の長辺と同じ長さのため、そのままだと洋7封筒が入らないため、折り方を工夫して、なんとか洋7封筒が入る状態にしました。
14:31美瑛発札幌行の臨時特急に乗り、17:26札幌到着しました。途中、家の最寄り駅、厚別駅に10分くらい停車して、快速と特急の通過待ちをしました。厚別駅で降ろしてくれればすぐに帰れたのですが、止まった位置がホームのない線路上だったので、降りることは不可能でした(降りるというのは、もちろん冗談ですが)。
実家に帰り、すっかり疲れてしまい、夜8時でもう寝てしまいました。

実は、臨時特急の中で、感動的な再会がありました。
昨年9月に行われた「千歳日航マラソン」で、フルマラソン完走後、いっしょに来ていた母といっしょに出店で焼きそばやビールなどを買って食べ飲みしていて、たまたま一緒のテーブルに座っていたご夫婦といろんな話をしていました。そして、特設ステージにてゼッケンによる抽選大会があり、同じテーブルに座っていた夫婦の奥さんがなんと12月に行われるホノルルマラソン招待が当たったのでした。私も自分が当たったわけじゃないのに、嬉しかったです。
で、札幌駅から美瑛行の臨時特急に乗ったところ、座席の後ろにいた女性が「千歳日航マラソンに出てましたよね」と言われ、顔を見ると、ホノルルマラソンが当たった女性だったんです(ホノルルマラソンはちゃんと完走したそうです)。ご主人さまはYOSAKOIソーランまつりの方でいろいろあるとのことで、今回は奥さんだけ参加ということでした。缶コーヒーをホームの自販機で買うときに、お見送りに来ていたご主人さまがいて、「久しぶり」ということで、握手をしました。こういう出会いって、ほんとすごく嬉しいものです。
マラソンが終わり、帰りの列車には後ろにいた女性はいませんでした。別の列車で帰ったのかな?と思っていたら、滝川に着いたとき、その女性が通路を歩いてきました。知り合いが乗り合わせていて、隣があいていたのでそこに席を移した、とのこと(自己記録を更新して、喜んでました)。で、「札幌市の職員だったんですね」と話してきたので、よく話を聞くと、その女性も実は札幌市職員だったんです。
偶然もここまで来ると、すごく恐ろしくなってきます(^^;。こういう出会いは感動的です。だからこそ、人との出会いは大切にしたいですね。
(2000.6.12提供)


コンサドーレ、かろうじて9連勝!(第6回・2000年6月10日(土))

この日はコンサドーレ札幌が地元・厚別で大分トリニータとの試合がありました。大分は現在3位と2位札幌と激しいJ1昇格争いをしています。ここで大分に勝てば、J1昇格レースに大きく優位に立つことができ、逆に負ければ大分に2位の座を明け渡し、完全に五分の状態になってしまう、お互いに負けられない一戦です。
この試合はチームの得点の約6割をあげている、18歳のエース・エメルソンが前の試合、浦和戦で退場となって2試合出場停止のため、試合に出ることができず、札幌にとっては苦しい状態。
それでも、序盤は札幌ペース。そして、前半19分にこの日フォワート(FW)の黄川田が中盤で大分からボールをカットし、そのまま中央に持ち込み、前方左サイドから中央に走り込んだFW播戸にパス。大分のキーパー(GK)とディフェンダー(DF)が詰めてきたけど、2人をうまくかわし、ボールをうかして、そのまま大分のゴールへ。待望の先取点!大分のDFは味方のGKと激突して、起きあがることができず(翌日の新聞を見ると、写真ではGKの足がDFの顔面を蹴っているました)、控えの選手と交代しました。
ところが、そのあとも大分のFWと別のDFが相次いで接触プレーでピッチに戻ることができず、前半31分で大分は交代枠3人を使い切ることに。
前半は札幌ペースながら、最後のツメが甘く、追加点を上げることができず。
後半に入っても、両チームとも決定的なシーンもなく、1−0のまま2分のロスタイムに突入。J2の試合で初登場の高木琢也がサイドライン中央部に待機し、ボールがサイドラインを出て交代…と、思いきや、予備審判が番号表示機の数字設定している最中で、交代することができず、大分のスローインでプレー再開。そのとき札幌の一瞬のすきを大分につかれてしまい、同点に追いつかれてしまいました。
昨年8月15日、厚別で行われた大分戦で、大分が2−1とリードしたまま後半のロスタイムに突入。土壇場で札幌が同点に追いつき、ロスタイムに劇的Vゴールで勝ちましたが、その逆となってしまうのか…。
後半終了し、5分の休憩のとき、GKコーチのディドが播戸を落ち着かせようとしていたけど、播戸は渡されたボトルを投げ捨てるほど、キレてました。ボトルをたたきつけたりする選手もいたりと、戦意喪失状態。
延長では大分が風上側を選び、大分に傾いた流れをいかして、一気に勝負を決める作戦に。延長開始直後、大分が札幌ゴールをどんどん襲ったものの、GW佐藤洋平の堅い守りでゴールを割ることはできず。逆に延長前半9分、札幌のミッドフィルダー(MF)田淵から高木に向けてセンタリングを上げ、高木は大分のGKと競り合いとなり、GWの手からボールがこぼれたところ、ゴール前に走り込んできた播戸が押し込み、Vゴール!なんとか勝ち点2をもぎ取り、大分を叩くことができました。これで、勝ち点38。この日、トップの浦和は10位(11チーム中)の新潟に1−6の惨敗となり、勝ち点は38のまま。得失点差で浦和がトップを守り、札幌は2位のまま。すんなり90分勝ちだとトップでしたが、この時期にトップにたってヘンなプレッシャーを受けるより、2位の方がいいです。
次の厚別の試合は6月21日(水)の対水戸ホーリーホック戦。水戸は今年、J2に昇格したばかりですが、6位と大健闘。決してあなどることのできないチームです(どのチームもですが)。でも、この試合からFWエメルソンが復帰するので、絶対勝ってくれるでしょう。
(2000.6.12提供)


坂本九思い出記念館来館(第5回・2000年6月3日(土))

この日は栗山町にある「坂本九思い出記念館」に行ってきました。北海道で放送していた「サンデー九」(STV・日曜朝9時〜9時30分)という番組で、各地の福祉施設を回り、ハンディに負けず頑張っている方を紹介し、励ましてきました。1985年7月29日、何度も訪れている栗山の知的障害者授産施設(ハロー学園)を訪れ、さらに交流を深めました。その2週間後、あの日航機墜落事故にて帰らぬ人となってしまいました。
「九ちゃんの功績」とすばらしい「笑顔の思い出」永遠に残そうと、みんなの寄付により建設され、1993(平成5)年9月9日に開館しました。運営はすべてボランティアで行われています。
建物の入口には「九」のモニュメントがあります。トップページには「上を向いて歩こう」切手の初日カバーを紹介していますが、その中にある継立局の風景印に建物の右半分が描かれています。

入場料は無料ですが、施設運営費などの目的に使うための募金をお願いしています。開館時間は10〜17時、休館日は毎週月曜日(祝日のときは開館)です。

入って右側に展示室があります。いろんな歌のゴールドディスクや衣装などの思い出の品がたくさん展示されています。また、永六輔さんや青島幸男さんなどが坂本九さんに送った言葉なども紹介されています。

入って左側には坂本九さんのCDなどのグッズや授産施設で作られた工芸品などの売店が売られています。1999年3月16日発売のわたしの愛唱歌シリーズ第9集「上を向いて歩こう」の切手も展示していました。切手はさすがに売り切れていましたが、初日指定局だった栗山局の絵入りハト印押しのメモリアルカード(写真の左上が表紙、下の中央部が見開き状態のもの)が切手代金のみの50円で売られていました。

2000年1月12日の北海道新聞に載っていた「坂本九思い出記念館」の記事と「上を向いて歩こう」の切手にその日の日付の栗山局風景印を押し、右下に局長名のゴム印を押したものを、栗山局から記念館に贈呈されたものを展示していました。

記念館のスタンプ、1年前に来たときはゴム印でしたが、今回はシャチハタでした。

坂本九思い出記念館に来たのは1年振りですけど、いろんなことに頑張ってきたからこそ、その思いがみんなに継がれていくんだな、と思いました。そこまでになるのは非常に大変だけど、自分も自分なりのことがこれからいろいろできたらいいですね。

栗山町内では、コンサドーレ札幌の練習場があることにちなんで、交通安全の旗が赤と黒のコンサドーレ色になっていました。


行きのバス(夕鉄バス(急行・札幌大通→夕張行)、大谷地バスターミナル→継立)のルート

(2000.6.4提供)


コンサドーレ7連勝!(第4回・2000年6月1日(木))

厚別公園競技場でコンサドーレ札幌の試合(対ベガルタ仙台戦)が行われ、3−1と逆転で勝ち、7連勝を飾りました。上位5チーム(浦和、札幌、大分、大宮、湘南)はいずれも90分勝ちで勝ち点3をあげたため、上位チームの順位に変動はなく、札幌は2位のまま。
そして、6月4日(日)、トップの浦和との初めて直接対決(駒場)に望みます。コンサドーレの場合は上位チームと対戦する方がむしろやりやすいと思うので、勝機は十分あるでしょう。既に駒場のチケットは完売とのことです。J2史上最大の観客動員数(約2万5千人)は確実でしょう。J1でも1stステージで観客動員2万人以上の試合がわずか6試合。
なお、この試合の観客動員数は8,622人。一ファンとしては少ないかな、と思うのですが、夜7時半試合開始で、さらに降水確率が60%(結局、雨は降らなかった)の中での数字ですから、まずまずでしょう。ホームの試合の観客数は、3/30に室蘭で行われたの平日デーゲームの試合(3,162人)を除けば、最低でも8千人以上。この数字をクリアしているのは、J1の鹿島、柏とJ2の浦和の3チームだけ。この熱いサポーターの応援があれば、絶対J1復帰を果たしてくれるでしょう(そう簡単にはいかないと思うけど)。

読書日記/弘兼憲史の会社新作法(講談社)


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