2001年9月9日(日)

この日、第21回千歳日航マラソンが行われます。前日の天気予報は雨はそれほど降らないと言っていたのに、当日は降水確率も60〜70%と雨模様。
実家にいったん行き、母といっしょに平和駅に向かい、7:30発・新千歳空港行の普通列車に乗る。
折り返しが快速エアポートになるため、進行方向に向かって4両目の前半分が「Uシート」の車両でした。快速の場合は指定席で指定券(300円)が必要ですが、普通列車の場合は自由席となるため、千歳までゆったりと座っていこうと思ったら、「Uシート」部分に数人しか乗っておらず、楽々座ることができました。北広島では特急と快速エアポートの通過待ちで10分停車。快速エアポートに乗りかえれば早く千歳に着くのですが、エアポートは立ち客がいたので、乗り換えはパス(^^;。
千歳駅で降りる。千歳では小雨が降っていました。タクシーでスタート地点に向かう。ゼッケン受け取りは本来8時半までですが、雨のため、体育館内は雨しのぎしている人も大勢いて、ごったがいしていました。結局、ゼッケン受け取りは8時40分頃になる。
スタートは9時30分。小雨が降りしきる中のスタート。2km進んでほぼ8分ちょうど。いいペースのスタート。余力を残しながら、今までにない早いペースで走り、5km地点は20分02秒。1kmほぼ4分ペース。2kmあたりから、女性ランナーが1km約4分ペースで走っていました。その方の後ろについていくことにしました。顔を直接見たわけでないけど、走り方で、昨年の優勝者だな、とすぐわかりました。昨年の女子優勝タイムはジャスト3時間00分00秒。この方の後ろに付いていけば、3時間は切れると思い、ちょっと離れそうになっても、すぐに追いつき、ずっとその方の後ろについて走りました。
3kmから25kmくらいまでは林道なので、地面は土。雨が降っていたものの、林道では雨量がほとんどなかったためあまり気にならず、水たまりもなくて思ったより走りやすかったです。そして、土の方がコンクリートより足に負担がかからず、気温も暑くもなく、寒くもない絶好のコンディション。あとで息切れするかもしれないけど、行けるところまでは2時間台を目指して1km4分ちょっとのペースで走る。
15〜20kmの間はやや登りのため、ペースが少し落ちて、1km4分20分を超えたものの、それでも、1km4分15秒ペースでいけば3時間を切って、2時間台で行けるので、ここははやる気持ちを抑える。
21kmを過ぎ、折り返し地点から先は下り。1km4分ちょっとのペースに上げていく。
25km過ぎになり、土の路面から自転車道路に出てコンクリート路面に変わる。この辺りから脇腹が痛くなり、ちょっとピンチ。ペースは4分30秒前後に落ち込む。このままだと3時間を超えそう…。しかし、この痛みはオーバーペースによるものではなく、単なる空腹のためと判断し、30km地点の給水ポイントでバナナをちょっと食べて、栄養補給したところ、脇腹の痛みはなんとか治まり、1km4分30秒ペースで走る。このペースならギリギリ3時間を切ることができるので、頑張って走る。
37kmから40kmの間、登りが2度もあり(ランナーにとっては「心臓破りの丘」かな)、非常にツライ状況。それでも、40km地点で3時間50分56秒とあと2.195kmを9分03秒で走れば3時間を切れる…しかし、1kmを4分07秒ペースで走る必要がある。しかし、不可能ではない以上、キツイ状況ながらも最後の頑張りで走る。
42km地点を通過した時点で3時間まであと数秒。これで、3時間を切ることは無理となったものの、前に走っていたランナーをかわして、3時間00分17秒でゴール。今までのベスト、3時間11分10分を10分以上も上回る記録でした。これで、それなりの練習をすれば、3時間を切ることも決して夢ではないところまできました。
今年のフルマラソン出場はこれで最後のため、2時間台の記録の夢は来年以降に持ち越しとなりました。それでも、1kmを4分ちょうどのペースで走れば、2時間50分を切ることもできので、2時間40分台で走ることができればいいですね。
地点 タイム 5kmあたり 1kmあたり
スタート 20分02秒 4分01秒
5km地点 20分02秒
20分36秒 4分08秒
10km地点 40分38秒
21分11秒 4分15秒
15km地点 1時間01分49秒
21分53秒 4分23秒
20km地点 1時間23分42秒
20分53秒 4分11秒
25km地点 1時間44分35秒
21分04秒 4分13秒
30km地点 2時間05分39秒
22分33秒 4分31秒
35km地点 2時間28分12秒
22分44秒 4分33秒
40km地点 2時間50分56秒
9分21秒
(2.195km)
4分16秒
ゴール
(42.195km)
3時間00分17秒

家に帰り、STVラジオで毎週日曜夕方5時〜5時30分、「北海道100年物語」という番組をやっています。北海道でいろんなことについて熱くやってきた方々を紹介しているのですが、今回は道東・十勝をお菓子のマチにしていった功労者、小田豊四郎さんの紹介でした。
1916(大正5)年、 函館生まれ。父の家業失敗をきっかけに、父がそのあとに仕事場とした札幌千秋庵に1933(昭和8)年入社。
その後、帯広千秋庵のトップになるが、借金続き。しかし、豊四郎の人柄から、お菓子の原料である砂糖の代金としての資金貸出があり、その砂糖で良質なお菓子を製造。次第に売上げが伸び、廃業の危機は脱出。
戦後はいろんな菓子製造メーカーが安価な人工甘味料をつかうのを後目に、お菓子作りには素材がよくなければいけない、という教えを貫き通し、なかなか手に入りづらい砂糖でのお菓子作りにこだわる。そういう姿勢が実を結び、売上げはどんどん伸びていきました。
その後、ヨーロッパでチョコレートづくりを見て、白いチョコレートづくりを決意。最初はホワイトチョコレートは見向きもされなかったものの、1972(昭和47)年の札幌五輪を契機に、大雪山の雪の白を連想させるホワイトチョコレートが爆発的な人気となる。
1977(昭和52)年、帯広千秋庵から独立し、六花亭を創業。「六花亭」の名前の由来は、雪の結晶の形、「六花」からです。
そのホワイトチョコレートが第3次府県版広告付き葉書(エコー葉書)として、1982(昭和57)年2月1日に発売されています。六花亭にとっては、会社創立(独立)のきっかけとなったのがこのホワイトチョコレートと言っても過言じゃないから、そのホワイトチョコレートを前面に出したんですね。その六花亭の思いが今になって深く感じとられますね。
そのあと、母体となった札幌千秋庵も同じ年の6月1日に広告付き葉書のスポンサーとなりました。
北海道で発売のエコー葉書も800種類を突破しましたが、エコー葉書の広告を見ると、たった20年でも北海道の歴史が満載で、すごく感慨深くなってしまいます。今のところ、エコー図版をできる限り次々と紹介していますが、北海道版エコー図版を完全収録した場合は、テーマ別で紹介しよう、という夢もあります。個人的には「壮大な夢」ですね。早く北海道版エコーを完集したいです。(2001.11.8記)


yuaの日記録・目次 に戻る

トップページに戻る