2002年7月19日(金)


札幌ドーム試合観戦、「ペタジーニ砲」また目撃
今日(7/19)の夜、札幌ドームでプロ野球セ・リーグ公式戦、ヤクルト−広島の試合を観戦しました。当日券売り場で外野席(指定)のレフト側(1,400円)のチケットを買って入場したところ、ライト側(ヤクルト応援団側)は6〜7割の入りでしたが、レフト側(広島応援団)は2割もいたかどうか…という寂しい状態。広島はほぼ1か月前、同じ札幌ドームで巨人戦の試合をしていて、そのときは3連戦すべて44,500人の発表。今日の発表は15,000人となっていますが、どう見ても1万人は入ってません。どちらにしても、今回の3連戦の合計観客人数は巨人戦1試合分とほぼ同じということになりますね…。
先発はヤクルト・石川投手、広島・高橋建投手。サウスポー同士の投げ合いです。1回裏、ヤクルト先頭打者、真中選手がセンター前ヒット。2番・宮本選手が難なく送りバントを決め、1死2塁。3番・稲葉選手が四球を選び、ランナー2人を置いたところで、昨年のホームラン王、ペタジーニ選手が登場。カウント2ストライク1ボールの4球目、甘く入ってきたストレートをセンター返し。打球がぐんぐん伸びて、そのままスタンドイン。いきなりヤクルトが3−0のリード。そして、ペタジーニ選手は23号ホームランと巨人・松井選手と4本差のホームランキングまっしぐら状態です。
ペタジーニ選手と私との相性がすごくいいみたいです。昨年7月6日、東京に行っていたとき、神宮球場でヤクルト−中日戦を観戦したときも、ペタジーニ選手はヤクルト0−3の4回裏、ライトスタンドへ3ラン同点ホームランを打ちました。その後、8回裏、ヤクルト4−6の場面で死球を受け、乱闘を起こしたため、退場処分(^^;。しかし、続く古田選手が起死回生の同点ホームラン、さらに飯田選手が決勝スクイズを決め、最後は高津投手が9回表を0点に抑え、ヤクルトが2度の3点差を跳ね返す、7−6の大逆転勝利。そういう結果もあって、セ・リーグ制覇、そして日本一になりました!
さらに昨年7月24日、札幌ドームで行われたオールスター第3戦を観戦したときにもペタジーニ選手は1回表にソロホームランを打っています。
ですから、私はペタジーニ選手のホームランを「3試合連続」で見ていることになります。それも、公式戦ではともに3ラン。やっぱり打球の速さ、飛距離ともに圧巻ですね。
そのあと、広島がすかさず2回表に1点を返し、なお1死1・3塁と一気に同点へ…と、ムードが高くなってきたものの、打者が高橋建投手で、策がなく、そのまま打たせたところ、最悪のゲッツー。
そして、両先発が踏ん張り、ヤクルト3−1のまま。
8回裏には3割トリオ、5番・古田選手、6番・ラミレス選手、7番・岩村選手の3連打でヤクルト4−1と勝利を決定づける。
最後はヤクルト守護神・高津投手が登場。簡単に三者凡退で抑え、ヤクルト4−1と広島に勝ちました。ヤクルトは昨日まで中日との3連戦をし、3連敗して札幌に乗り込んできたのですが、これで連敗ストップ。なんとか首位・巨人にくらいついてほしいところです。(2002.7.19提供)


「感激メール」が届きました!
今日(7/19)の札幌ドームでの野球観戦が終わり、家に帰ってメールチェックをしていたら、「久しぶり!」というタイトルのメールがありました。それは、私が中学3年のときに切手収集を通じて知り合った親友・Kさんからでした。
そのKさんとの出会いは、私が中学3年のとき、「スタンプマガジン」誌の前身、「スタンプクラブ」誌の読者で私と同じ年の札幌市内在住収集家が誌に掲載してあった札幌市内の読者に対して「読者クラブ」をつくろう、という呼びかけをして、最初は5人くらいが集まって「札幌白石クラブ」という読者クラブができました。で、Kさんは読者クラブのメンバーのひとりでした。
月1度、読者クラブメンバーでの集まりをしてましたが、Kさんとは住所が同じ白石区だったので、距離的には4kmくらい離れてはいたものの、よくKさんの家に遊びに行ってました。
Kさんは私よりひとつ年上なので、知り合ったときは高校1年生。私がちょうど高校受験だったので、受験のときの話や高校生活の様子などKさんからいろいろ聞きました。で、受験する高校をKさんの通っている高校に決めました。その高校は私の実力的にはボーダーラインぎりぎりでしたが、「ぜひ行きたい」という気持ちが強く、中学の担任からは反対されたものの、受験をその高校にし、結果はかろうじて合格!
そして、Kさんが高校の学友会(私が通っていた高校では「生徒会」のことを「学友会」と呼んでました)に入っていたので、私も学友会活動を一度やってみたいと思い、入ることに。学校祭の準備を夜遅くまで残って頑張ったことはかげがえのない経験、そして楽しい思い出でした。高校で唯一の思い出と言っても過言ではないくらいです。
ですから、Kさんに出会ってなければ、今の私はなかったでしょうね。
で、Kさんとはここ数年、お会いしていなかったのですが、Kさんが仕事中、インターネットにて「苫小牧市営交通/時刻表」と検索したところ、私のサイトがヒットしてしまったとのこと。何気なく検索していて、知り合いのホームページが出てくれば驚きですよね。
そして、

まだ「時計台」続いているのですね。
しかもこんな立派なホームページになって!
ついつい懐かしくなりメールしてしまいました。
これからも頑張って「時計台」を作り続けてください。

と、いうコメントをつけてメールを送ってくれました。
すごく感激しました(^^)。本当にありがとうございます。
「時計台」とは、自己紹介で軽く紹介していますが、趣味誌(切手のミニコミ誌)として1985年(昭和60年)に創刊。6年間で37回発行(「時計台」創刊前年の1984年から1985年にかけて、読者クラブ「札幌白石クラブ」時代の会報を11回発行。それを含めると48回)しました。誌のコンセプトはそのときから「北海道・札幌」でした。
「時計台」を出していたときは、どんなに早いスパンで発行しようとしても30〜40日に1回。これでは、せっかく情報入手したときには新鮮なネタも、誌発行段階では「腐ってしまう」ことが多々ありました。しかし、ホームページをつくるようになってからは、情報入手したその日のうちに提供できるようになったわけです。このホームページは私の理想とする情報提供の場なのです。
で、こういうメールが前日に10万アクセスとなった次の日に届いたのも、ほんとすごい「運」という感じがします。親友とメールとはいえ、再会できた「運」は大切にしたいです。
今の私があるのは、多くの方との出会いがあったからこそなんですね。だからこそ、その出会いをこれからも大切にしたいです。また、自分のできることをこれからも、どんどんやっていきたい、そしてそのことによって、結果的にいろんな方への力添えになれれば…と思います。(2002.7.19提供)


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