2002年10月13日(日)

「切手収集家のつどいin北海道」2日目
函館での「切手収集家のつどいin北海道」も2日目を迎えました。


6:30

起床。昨日入らなかった、大浴場(温泉)に入る。
7:15 朝食。「イカ刺」が非常においしかったです(^^)。
9:00 「切手収集家のつどいin北海道」の2日目、郵趣講座として、昨日支部活動賞を受けられた、函館支部の天明恒一郎さんから「多彩の船歴を全うした“宗谷”」の講談。本当なら天明さんから説明いただければ一番なんですが、そういうわけにもいきませんので(^^;、レジュメを参考に要約して紹介いたします。
「宗谷」は昭和13年2月16日、長崎県香焼島の川南工業で3000トン型耐水貨物船をソ連在日通商代表部3隻受注の第3隻目として受注。「ポロチャエベツ」号と命名され進水。しかし、進水直後、ソ連在日通商代表日より契約破棄の通告を受けたため、川南工業はストックボートとして完成させる。神戸の辰馬汽船と組んで、辰南商船を作り、「地領丸」として樺太から木材、挑戦や台湾の米、雑貨、大連の大豆カスなどの輸送に従事。室蘭の栗林商船に貸し出されたこともあったそうです。
その後、海軍が北方の警備用として「地領丸」を購入し、雑用艦兼測量艦として改装工事。昭和15年6月4日、宗谷と命名され、海軍籍に入る。
最初の任務は千島列島、樺太、北海道沿岸の測量。昭和16年にはサイパン、トラック島の測量、気象、海象などの調査で出航。太平洋戦争では南方に出撃し、数々の災難に見舞われたものの、ことごとく助かり、横須賀に戻る。終戦間際、室蘭〜横須賀間を石炭輸送中、米潜水艦が攻撃。船団を組んだ仲間の船は沈められたものの、宗谷だけは無傷で生き残り、終戦を室蘭で迎える。
終戦後は米海軍の手を経て、大蔵省に移管され、船舶運営会のもとで運航。昭和20年10月から引揚船として南方の島や中国などと日本を往復。昭和23年11月6日に引揚業務を終えて、小樽に係船。
昭和24年12月12日付で大蔵省から海上保安庁に移管。改造のあと、昭和25年4月1日から灯台補給船として活躍。北は宗谷岬灯台、南は与論島茶花灯台まで、資材機器、燃料、生活用品等を供給し、「海のサンタクロース」と呼ばれ、親しまれる。
そして、日本が南極観測開始にあたり、南極観測の船の改造用の船探しで、候補になった船が使えず、海上保安庁所属の「宗谷」を改造することに決定。日本鋼管浅野ドックで昭和31年2月12日から10月10日まで大規模に改造。海上保安庁番号「PL107」、船体をオレンジ色に塗装。昭和31年11月8日、東京湾から南極のプリンスハラルド海岸に向けて出航。昭和32年に南極洋着。帰路の2月、氷海に閉じこめられ、ソ連の「オビ」号に救出。
第2次観測のとき、氷態が極端に悪く、昭和基地に近づくことが不可能になったため、引き返す。越冬隊が救出されたものの、カラフト犬15頭を残したまま引き揚げる。
第3次観測のとき、基地に残したカラフト犬タロ、ジロの2頭が奇跡的に生還。タロ・ジロ生還については、20世紀デザイン切手に登場、後ろに「宗谷」が描かれています。天明さんはこの切手について、「宗谷」とはっきり船の種類がわかるので、大好きな切手とのこと。
宗谷での南極観測は第6次まで行われ、そのあとの観測船は「ふじ」、今では「しらせ」が活躍しています。昭和38年3月には船体の色をホワイトに塗り替えて、函館港に入港。第1管区海上保安本部函館保安部所属で北方の警備救難として活躍。オホーツク海の流氷観測やさけます医療パトロールなどの定例業務のほか、数々の海難救助などに活躍。救出出動件数315件、救助船125隻、救助人員約1000人と南極観測船引退後もすばらしい任務を果たしました。
そして、ついに40年の長い任務を終え、昭和53年8月2日から9月3日まで、サヨナラ航海で全国を一周。全国各地で記念小型印も使用され、北海道では8月24日に函館局、8月27日に小樽局で使用されています。昭和53年10月3日に解役。
退役後は「船の科学館」(東京都品川区、新交通ゆりかもめ・船の科学館駅下車すぐ)に保存展示され、塗装も南極観測船当時のオレンジ色に塗り替えられました(写真上。以前、船の科学館に行ったときに撮影したものです。船内に入る場合は有料ですが、船体を見る(&撮影)だけなら無料です)。9:50・講演終了。
進水後、貨物船→特別輸送船→引揚船→灯台補給船→南極観測船→巡視船→見学船とここまでの役割を変えながら活躍していき、数々の苦難を乗り越えて、役割を全うしたのはすばらしいですね。本当に「お疲れさま」ですね。

2000.7.21発売「カラフト犬タロ・ジロ南極越冬」
(タロ・ジロの後ろの船が南極観測船「宗谷」)
10:00 つどい2日目の郵趣講座・その2、函館支部の浜谷彰彦さんの「記念切手収集の楽しみ方」の講談。変則目打についての紹介。私のHPでも紹介済のふるさと切手北海道版「ハマナス」80円についても紹介していました(初版は上下の耳紙に5ヶ所、1つ分の目打ちが開けられていますが、2版はそれがありません)。

平成8(1996)年7月5日発行(初版)

平成11(1999)年5月25日増刷発行(2版)
10:45 大会長の渡利函館支部長のごあいさつ、そして大会開催地の盾が渡利函館支部長から次回開催の札幌第一支部、大條支部長に渡され、大條さんからのごあいさつがあって、いよいよ「切手収集家のつどいin北海道」も終了。なお、今回のつどいについて、昨日の様子が今日付けの函館新聞の記事で載っていました。会場を出た直後、いろんな方々とごあいさつをして、会場をあとにする。今回のつどいは「非公式・HPによるつどい報告」係で、つどい中もパソコンでのHP更新作業をしていて、皆さんとお話する時間がちょっと少なくなりましたが、また皆さんとお会いできますね(^^)。そして、函館では毎年2月頃に一泊例会があるので、来年に行われるときには、また参加したいですね。
10:55 このあと、今日の日付のつどい小型印を押すため、函館東局に向かう。局へは函館東郵便局長さん、私の所属する札幌中央の方々といっしょに行く。札幌中央支部長さんは以前、函館東郵便局長さんの上司。そして、別の支部員の方は、昔に函館東局に勤務している「先輩」だったりと、つながりがいろいろあるものですね(^^)。
私も函館東局から200枚以上の葉書を局から差し出したこともあり、本当にお世話になっています。時期が合えば昨年同様、クリスマス時期に函館に行きたいですね(^^)。
そして、つどいの小型印を記念押印する。ついでに、メータースタンプ50円分を購入し、私製葉書を自分あてに差し出す。
10:55 湯の川温泉電停で札幌中央支部の方と別れ、室蘭の友人とそば屋で昼食をとる。
11:50 湯の川温泉電停で市電に乗り込み、室蘭の友人と別れる。

函館小観光
このあと、函館からの特急乗車まであと3時間あるので、ベイエリアでの小観光です。


12:25

十字街電停で降りる(運賃250円)。
12:30 このあと、高田屋嘉兵衛資料館に入館(北方歴史資料館との共通券で大人500円)。高田屋嘉兵衛は「ほっかいどう百年物語」第1弾の本にて登場してきますが、高田屋嘉兵衛さんのことを詳しく知れば知るほど、すごい方なんだなぁ、と改めて尊敬します。今に満足することなく、自分の可能性をどんどん上に置いて、その夢をどんどん実現させていく。そして苦境にたたされてもひるむことなく、悠然と立ち向かっていくあたり、今の日本人には一番見習わなければならない「お手本」というべき方ですね。そして詳しくは説明しませんが、「ゴローニン事件」(ロシアの海軍・ゴローニン少佐が択捉島測量中、松前藩に囚われた事件)をきっかけに、嘉兵衛がロシアに身代わりとして囚われたものの、自らが江戸幕府と交渉して、ゴローニン少佐を釈放させ、日露の緊張状態がこれにより回避。当時にノーベル賞があれば、間違いなく「平和賞」が贈られるほどの活躍。この偉大な功績はどんどん伝えていかないといけないですよね。
13:00 「はこだて西波止場」にある記念スタンプを押す。スタンプの状態はあまり良くなく、早く作り替えてほしいかなぁ。
13:10 北方歴史資料館に行く。まずは市販されている高田屋嘉兵衛の足跡のビデオで、50分のうち、要約して10分にまとめたものを見る。
高田屋嘉兵衛は28歳のときに船持船頭として独立。1500石積の大船「辰悦丸」を庄内(酒田)にて建造し、松前・箱館(函館)に来港。その後、箱館を活動の中心に置き、一大商人の地位を築き上げました。28歳という年齢はあのノーベル化学賞を受賞した島津製作所の田中耕一さんが今回の受賞のきっかけとなった、「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」で、生体高分子の質量分析法のための「脱離イオン化法」の開発をした歳でもあります。
館内2階に様々な展示がされてますが、高田屋嘉兵衛の生涯を書いた小説、「菜の花の沖」を書いた司馬遼太郎さんが高田屋嘉兵衛についてコメントした週刊誌のコピーが掲示されており、まず「江戸時代で一番活躍した人」(2番目が見つからないくらい、ともおっしゃっている)。さらに、ロシア人の青年がゴローニンの自叙伝『日本幽囚記』を読んで、高田屋嘉兵衛の行動に感動。高田屋嘉兵衛を慕って日本・函館に来たものの、既に嘉兵衛は亡くなっていて、高田屋も消滅していた状態。しかし、その青年はその後もロシアに帰ることなく、日本に滞在。そして、日露戦争のときも、そのロシア人は日本人にとって愛される存在となったとのこと。そのロシア人はニコライ堂の名前の由来となった、大主教聖ニコライです。
ニコライは1861(文久元)年に函館ハリストス正教会の2代目司祭になっています。ほんとに、歴史を調べていくと、奥が深いですよね。そして、高田屋嘉兵衛あっての今の函館と言っても過言じゃないですね。
でも、私はまだ司馬遼太郎さんの「菜の花の沖」(文庫版は全6巻)を読んだことがないので、今度読んでみます。
13:50 金森倉庫群近くのハセガワストアで「やきとり弁当」(小・380円)を食べる。
13:50 「はこだて明治館」(旧函館郵便局局舎)の前にある丸形ポストを撮影する。やっと、今日の年月日入りの看板つきで撮影できました(^^)。「私は1901年に生まれ…」とありますが、このポスト自体は昭和41年の製造(新東洋製)ですので、まだ「36歳」です(^^;。
14:58 向かいのホームに試運転として789系電車が入線する。789系電車は、12月1日のダイヤ改正により函館〜八戸間を走る特急スーパー白鳥号用車両としてデビューなので、デビュー前に見られるのはラッキーです。なお、1号車の一部は普通車(指定席用)のスペースで、パソコン用としての電源(コンセント)を確認することができました。ノートパソコン利用者の私としては嬉しいことですが、果たして、私が「スーパー白鳥」利用するとき、その指定席を確保できればいいんですけどね(^^;。
なお、11月まで運行の485系電車によるはつかり号も入線していたので、青森方面の新旧特急車両をここで並べてみました(^^)。

485系電車

789系電車
15:04 函館駅から札幌行・特急スーパー北斗13号が発車する。

このあとは森と八雲に寄って、駅スタンプを押したあと札幌に戻ります。(2002.10.13提供)


森と八雲で駅スタンプ押印
札幌に帰る途中、森駅と八雲駅の駅スタンプを押す計画で、時前、「ホテル万惣」に到着。

15:37 森駅で降りる。駅の高架橋の窓から駒ヶ岳がしっかりと見れました。
16:02 森駅から長万部行・普通列車に乗る。
16:41 八雲駅で降りる。
17:24 八雲駅から札幌行・特急北斗15号に乗る(定刻より10分遅れ)。
19:43 新札幌駅で降りる(3分遅れ)。
19:50 昨日、駅前に置いた自転車に乗って帰宅。


本当に楽しい2日でした。JPS函館支部の方々、そしてつどいに参加された皆さん、どうもありがとうございました。(2002.10.13提供)


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