2002年7月17日(水)


W杯ボランティア、実は「臨機応変」にやっていた
昨日、札幌大学にて岡田武史さんの講演がありましたが、その中で「W杯で日本より韓国のボランティアの方がにこやかで、堅苦しくなかった。日本のボランティアは融通がきかなかった」とおっしゃってました。
確かに、全体的にはボランティアを含めた会場に携わっていた方の融通はほんとにきかなかった、と言っていいです。(札幌における個別のケースについては割愛します)
ただし、私が担当したエリアのボランティアのみんな(チケットの区分の色が青の2次ゲート対応(半券もぎり、入場者のカウントなど)は、自分で言うのも何ですが、来た観客に対して「試合を楽しんでもらおう」と言う気持ち、「おもてなし」という気持ちを持って、観客に接したと自負しています。
それは、たまたま担当エリアのボランティアの大半がコンサドーレ札幌のボランティアスタッフとして、実際に試合会場における観客に対しての対応を何十試合も経験していたので、同じやるなら、多くの観客に喜んでもらおう、そのためには我々ボランティアが気持ちよい対応をすること。そして、観客に喜んでもらえることが、ボランティアをやっていての糧(かて)となっていった…と、いうことですね。
実は、私が担当したエリアのボランティアは、すべてマニュアルどおりのことをしたわけでなく、「臨機応変な対応」もいろいろしました。それは、幸いにも(本来は「不幸にも」)我々が担当しているボランティアのリーダー的役割の方がしっかりしていない状態だったので、どういうことをしても、何も言われない状況…はっきり言ってずさんな状況だったわけですけど。私は本来業務には一切ない、入口手前にて入口への誘導と半券の用意、そして外国人には笑顔で「こんにちは」と挨拶をするなどの呼びかけをしてました。ガチガチな対応なら、こんなことをやっていては、即座に中止させられるのですが、何も指導されることなく、楽しく観客のみなさんに対して声かけをしていました。イングランドサポーターに対して「こんにちは」と声をかけると、向こうも「こんにちは」とあいさつを返してくれます。ほんとに嬉しいですよね。
また、私が担当しているところのボランティア業務時間は、本来キックオフ直後までで、そのあとは「帰宅」となるのですが、ボランティアの所在についてのチェックがきちんと行われていない「ずさんな管理」だったため、キックオフ後、試合終了までドーム内にいることも可能でした。で、6月7日のアルゼンチン−イングランドの試合終了後、私は同じ担当エリアのボランティア仲間数人といっしょに試合終了後、出口手前で待機し、イングランドがアルゼンチンに勝利して、喜び勇んでドームを出ようとするイングランドサポーターに対し、「ありがとうございました」「さようなら」という挨拶をしました。そうすることにより、イングランドサポーターの中には「喜びをいっしょに分かち合いたい」ということで、握手をしてきたので、私も「おめでとう」という気持ちをこめて握手をしました。試合の勝利で気持ちいい状態になったのを、別れのあいさつでさらに気持ちいい状態を大きくしていく…やはり、満面の笑みを見るのはすごく気持ちいいことですよね。
また、担当業務以外の仕事といえば、アルゼンチン−イングランドの試合で、試合開始まもなく、イングランド人に「席を案内しろ」ということで、手をつかまされ、本来は担当でないけど、直接、その人を連れて席まで案内しに行きました。実はその方の席は最前列から5列目というところで、チラッとピッチを眺めることができました(^^;。もちろん、試合中だったため、すぐに腰をかがめて駆け足で階段を上がり、その場を立ち去ったのですが、何でもかんでも担当でないからできない、というのではなく、支障のない範囲で自分でできると判断したことは本来業務外のことでもやっていく「臨機応変」な行動が大切だと思います。講演での岡田武史さんいわく、韓国のやり方「やってしまったものの勝ち」を地で実践しました(^^;。
日本全体としては、W杯のスタジアム運営はクソミソな評価になっていて、それは観客の立場に全くたってない試合運営をしたからこそで、当然の低評価です。札幌も同様です。特に6月7日のアルゼンチン−イングランド戦はフーリガン対策ということもあって、警察官の多さは半端じゃなく、とてもW杯の楽しい雰囲気が台無し、という状況でした。
ただし、個別には観客の視点で対応していたところも一応あったよ、という事実だけはここで報告させていただきます。もちろん、私のいたエリアですべてうまくいったわけでなく、トラブルも多々ありましたけど、少しでも観客にはイヤな気持ちにさせないようにしていこう、ということでチームワーク良くやっていったと思ってます。(2002.7.17提供)

6月1日(土)、ドーム入口前(2次ゲート)で、が開場前で待機しているボランティア同士での雑談様子を薄型デジカメでパチリ。
なお、写真に写っている手前の柵は試合終了後にも取り外されておらず、観客がドームの外にでるとき、大きな支障となってしまい、なかなかドームから外にでることができない状態で大混乱になってしまったため、次の試合からは試合終了時点ではこの柵を取り外すことにしました。失敗を経験して、次では同じ失敗を繰り返さない、ということで、やっていったため、今度は混乱は起きませんでした。

エルコンドルパサー号が急死…
1999年(平成11年)のJRA年度代表馬、そして凱旋門賞2着のエルコンドルパサー号が7月16日夜に急死という訃報が届きました。まだ7歳です。
凱旋門賞2着というのは、W杯サッカーで日本がベスト4に入るくらいの大快挙なのです。それも、優勝馬のモンジュー号とは1/2馬身差(モンジュー号(当時3歳)はエルコンドルパサー号(当時4歳)より斤量が3.5kgも軽い)、3着馬とはなんと6馬身差をつけているほどの状況。優勝に匹敵する内容でした。
馬名の「エルコンドルパサー」の由来はアンデス民謡(ペルー)の曲名「コンドルは飛んで行く」から来ています(スペイン語)。私も中学での音楽の授業で、アルトリコーダーを吹いて「コンドルは飛んで行く」を演奏したことを思い出します。好きな曲ですね。
凱旋門賞2着という「感動」を与えてからわずか3年足らずで、この世を去ってしまうなんて、ほんとに悲しいですよね。エルコンドルパサー号はまさしく、日本競馬を世界に「羽ばたかせた」馬です。ご冥福をお祈りするとともに、本当にお疲れさま。
で、エルコンドルパサー号が凱旋門賞出走のとき、鞍上は蝦名正義騎手。蝦名騎手は昨年(2001年)、初の年間最多勝を記録しています。エルコンドルパサー号の海外遠征での鞍上が今までの飛躍のステップとなっているはずです。
余談ですが、蝦名騎手は札幌出身。生まれ年も私と同じ(学年は蝦名騎手が3月19日生まれ、私が4月9日生まれなので、私がひとつ下になります)と、すごく親近感がありますね。(2002.7.17提供)


yuaの日記録・目次 に戻る

yuaの日記録 2002年7月・目次
トップページに戻る